被爆61周年 原水爆禁止世界大会
長崎大会
2006年8月7日〜9日:長崎市
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8月4日〜6日広島大会に続き開催された長崎大会に石川県原水禁の団長として参加した。
7日は原水禁・連合・核禁会議の共催による「核兵器廃絶2006平和ナガサキ大会」が開催された。長崎市の伊藤市長は核兵器廃絶に関する国際会議等の約束は何ら守られていない,核兵器廃絶の輪を拡げようと訴えた。
この会議では,原発や憲法9条の問題に触れられることはなかった。果たして,これらの課題を解決することなく核兵器廃絶を実現することはできるのか,疑問点も残った。
8日は分科会が開催され,私は「被爆二世三世問題の解決をめざして」の分科会に参加した。被爆二世三世にあらわれるガンなどの病気が放射線による遺伝子の突然変異によって引き起こされたものなのかどうか,これを科学的に立証することはまだできていない。しかし,子や孫に影響はないということももちろん証明されてはいない。二世三世の方々は発病の不安が解消されることはない。被爆の影響は61年経った今も続いていることを痛切に感じた。
午後は,「劣化ウランの現状を考える」報告会に参加し,イラク戦争帰還兵のハーバード・リード氏らから生の声を聞いた。放射能を持ち,微粒子となって体内にはいると様々な健康被害を及ぼす重金属である劣化ウラン。明らかに被害の実態があるにもかかわらず有害性をアメリカは公式に認めていない。新たなヒバクがアフガンやイラクの子どもたち,アメリカ軍や日本の自衛隊員にも広がっていることは確実だ。
9日最終日は,毎年石川県原水禁が訪れている家野町公民館にある慰霊碑に献花・墓参し,この地で被爆した方から体験をお聞きした。ロダンの「考える人」のように階段に座ったまま黒こげの死体を見たという証言を聞いた。原爆資料館にある写真などは,その1枚を見るだけで被害のひどさを想像させるに十分だが,そのようなことが亡くなったり傷を負った一人ひとりに起こっていたということをあらためて突きつけられた。
まとめ集会では,平和大使として世界に核廃絶を訴える高校生の発表も行われた。
61年前も同じであったという強烈な暑さの中,平和行進と爆心地での11時2分の黙祷で参加者一同は平和への思いとこれからの石川県でのとりくみ強化を誓い合った。
  
▲ 市長から被爆者から高校生らから,核廃絶に向けた現状の厳しさと憤りを訴え そして 呼びかけと決意
  
▲ 子孫にも続くヒバクの不安 ▲ 新たなヒバク劣化ウラン弾 イラク帰還兵から ▲ 平和へのメッセージで壁を
  
▲ 慰霊碑が各所に 家野町公民館を訪問し墓参 体験を聞く
 ▲ 爆心地公園
▲ 石川県からの参加者
  
▲ 高校生による署名募金活動 これを資金に代表を平和大使として派遣 ▲ 猛暑の中を平和行進
参照 被爆61周年原水爆禁止世界大会報告・大会宣言:原水爆禁止日本国民会議
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