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こんなに危険 安倍式教育改革
憲法九条を広める会で講演
2007年2月8日:中央公民館彦三館


 司会 今日は盛本さんにお話をしていただきます。
 昨年、教育基本法が改悪されました。それに引き続いて、三十三もの教育関連法規を変える、その手始めとして教育三法−教員免許法、地方境域行政法、学校教育法−を、いま安倍政権は変えようとしています。改定教育法には「愛国心」を明記して、子どもたちに「愛国心教育」をおこなえと言っています。非常に恐ろしいことだと思います。
 盛本さんには、教育基本法がどのように改悪されどのように変わったのか、戦前、愛国心教育でどのようなことがおこなわれてきたのか、安倍式教育改革に反対するとりくみをどのように進めていけばいいのか、などについて問題提起していただきながら、会場から意見や質問などを受けて論議を深めていきたいと考えています。
 それでは、盛本さん、よろしくお願いします。


こんなに危険 安倍式「教育改革」 盛本 芳久さんのお話

プロフィール 1955年生まれ。
1977年金沢大学卒業後、2002年まで中学教員。現在、県会議員。


盛本芳久さん こんばんは、盛本です。私、四年前まで金沢市内の中学校に勤務しておりまして、その後、県会議員をしております。学校の現場が本当に急激に変わってきていると聞いています。そして、小泉−安倍「改革」の流れの中で、教育も憲法改悪への流れに変わってきている。こうして学校現場が変わってきている、と捉えなくちゃいけない。
 
教育基本法「改正」−根拠のない改正理由

 政府が教育基本法を変える根拠として言ってきたことは、大きく言って四つくらいあるんじゃないかと思います。一つは、「いじめ・不登校・校内暴力・青少年の犯罪が増えている。これは教育が悪いからだ」。それから、「前の教育基本法が個人の尊重をあまりに大切にしてきたので、公を大事にするという気持ちがなくなって、子どもたちはわがままになった。規範意識が低下している」。こんなような話です。三つ目は、これと矛盾するような話を言っているんですが、「あまりに平等主義の教育をやってきたので、能力が高い子どもたちに対応する教育ができていなかったんじゃないか」というような言い方です。四つ目は、「時代が進展してきた。もうこの法律ができて六十年も経っています。それから一回も変わっていません。そろそろ時代も変わってきたから、変えた方がいいんじゃないですか」。漠然とした話です。これは憲法改悪の時にもよく言われる。大体、この四つくらいになると思うんですけれども、これらはすべてごまかしです。
 「いじめ」「不登校」などが増えてきたという話なんですが、それは確かに減ってきたとか良くなってきたという状況ではありません。けれども、例えば青少年犯罪というもので見てみれば、戦後、昭和三〇年代(一九五〇年から六〇年)、このへんあたりが、少年犯罪が圧倒的に多いわけです。それからずっと減り続けてきて、いま「若干多いかな」という程度です。「どんどんいま増えてきている」というような状況ではありません。そして世界的に見ても、例えば、青少年の殺人は、人口あたりにしてアメリカは日本の十四倍の件数があると言われています。それから、強盗はドイツが一番多いそうです。日本の三十五倍の件数が起こっている。むしろ、欧米の国々というのは「日本の教育が優れているのではないか」「学ぶべきものがあるんじゃないか」と言っているくらいの話なわけです。確かに、テレビ・新聞、いろんなところで少年犯罪が報道されるわけですけれども、悲しい話ですけれども、これは教育だけが問題という話ではなくて、教育的な病理というよりは社会的な病理だというふうに捉えるべきだろうと思います。
 「いじめ」などが言われてきたのは、二十年くらい前からです。これを何とかせにゃいかん、ということで、「じゃあ『ゆとり教育』をやろうか」という話も出てきたわけです。詰め込みすぎたんじゃないか、「不登校」も増えているから、「ゆとり教育」をと。「ゆとり教育」をやってきたけれども、じゃあ改善したかというと、あまり変わっていないんです。ですから、教育を変えていくより、社会の形を根本的に変えていかないと、法律を変えただけで変わるという話にはならない。
 それから、子どもたちの規範意識、「行儀良くしなさい」「親を大切にしなさい」、当たり前というか大変良いような話をどんどん出してきて、最近の子どもは一体どうなっとるんだというふうな論調になってしまっているんです。けれども、実のところは、今の大人たちの−特に政治家ですとか企業経営者ですとかそのあたりの人が−嘘ついていたとか、問題発言してもちゃんと説明しないとか、そういうことは子どもたちはしっかり見ているわけであります。大人世代の規範意識というものがむしろ子どもたちに大きく影響を与えている。教育で、道徳主義的なことを「これが大事、これが大事」ということを言い続けていたら本当に素晴らしい子どもたちができるのか。戦前の教育はそういう教育でしたけれども、行儀は良かったのかもしれませんけれども、戦争の時のアジアでの状況を見れば、それが表面的なものであったことがわかってしまうんではないか、と思います。
 それから、「時代の進展」ということなんですけれども、あんまりはっきり言わないんです。新自由主義、競争原理、市場原理、競争をして勝ち残ったところが力のあるところ、負けたところは能力がなかったんだという、こういう理屈ですね。でも、「弱肉強食の教育をやります」と言えませんから、「時代の進展と合わせていかなくちゃいけない」という言い方をするんじゃないかと思います。

 
本当の目的は?

 しかし、本当の目的はまず「愛国心」というやつです。これをきちっと法律の中に書き込んで、それを学校教育だけでじゃなくて、生涯教育、社会教育、家庭・地域、全部に広げて網をかけていこうということだと思います。
 それから新自由主義の教育ということで、「できる子は伸ばす・エリートを作っていく。そのほかの子は、黙って言うことを聞いていればいいんです」と言う。これは三浦朱門が言ったことですけれども。そういう教育をやろうとしている。教育の中味を国がコントロールしたい。中味ももちろんですし、それを担う現場の教職員も国のコントロール下に置いていきたい。それを法的にきちんとできるような形に−もう既になってきているんですけれども−法律でもってかっちりそれをやろうとする。そのために「組合もつぶさなきゃならん」と。それから「いろんな市民運動みたいなものもつぶしていこう」。こういう目的もあります。最終的には憲法改悪をしたい。軍隊を持つ、そういう国づくりをするということにつながっていく。そういう意味で、教育基本法の改正は憲法改正の露払いといわれてきたのだと思います。

 
教基法改悪の内容

 さて、教育基本法はどういうふうに変わったのか。大きく言ってポイントは四点くらいあります。まず「愛国心」。第二条は「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」という文言に最終的にはなったわけです。「国を愛する心」か「態度」かとか、あるいは「愛する」か「大切にする」かとか、そういう細かい議論がありましたけれども、最終的にはこうなったわけです。「国を愛する心」−心を法律で縛るのはどうなんだという議論がずっとありましたけれども、結局「態度」ということになったわけです。教育基本法にこれが盛り込まれると「評価」がついてまわるじゃないか、「愛国心」を評価することはできるのか、という国会での質問がありました。これには、小泉首相の時には、「それはできない。難しいでしょ」という答弁がなされました。そういう答弁だったんですけれども、学習態度、「態度については評価できます」という答弁をしています。心なんかはわかりませんから、もともと評価できるはずはないんですけれども、「態度」の評価は、やろうと思えばできるわけです。それこそ「君が代」がかかった時に立たないとか歌わないとか、それは態度ですから明らかにわかるわけです。教員がそういう態度をとった時に処分をするという東京の例があります。「君が代」が鳴っている時に歌わないで座っていたらこの子どもの評価は、いい評価になるはずがないわけです。心はとりあえずどうでもいい、態度をちゃんとしなさい、という教育が出てくるではないかと思います。人間というのは、心と態度がズレていますといろんなストレスがたまってきますから、だんだん、何となく「ああ、言われた通りしとった方が楽だわ」というような感じになっていく。それを狙っているんだと思います。そういう意味の第二条だと思います。
 それから、第四条のところに「教育の機会均等」というのがあります。これは、改定前の教基法では「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育」といっているんですが、改悪された教基法では「その能力に応じた教育」となっているんですね。僕はあまり注目していなかったんですが、「応ずる教育」というのを「応じた教育」にわざわざ変えている。「能力に応ずる」というのは、子どもたちがいろんな能力を高め・身につけていく、その時その時に進行形で教育を手厚くやっていくという発想があったと私は思います。けれども、変えられた教基法では「応じた教育」となっています。これは「この子はエリートコース、この子は黙って付いて来いコース」という感じで決めて、その子に応じた教育をやっていく、とそんな意味を含められる言葉にしたのではないかと思いました。要するに、能力主義の教育をやろう、そういう意味を込めたんではないかと思います。
 次に「不当な支配」というところです。「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」という第十条のところが変わりました。「教育は不当な支配に服することなく」はそのままですけれども、後は「法律及び他の法律の定めるところによりおこなわれるべきものであり」となった。この条文から、教育行政−国、県、市、町教育委員会−が「不当な支配」をする側にはもう入りませんということを法律の中に書いてしまったということです。以前の法律は、教育の「直接責任」という考え方で、教育行政であっても「不当な支配」になりうるとされていた。これは判例もあったかと思います。ここを無くした。「法律の定めるところにより」国や県や市が教育行政をやっていく、それに刃向かう者はみんな「不当な支配」ということになっていきます。要するに、日教組とか全教とか市民団体をつぶすということの根拠となる部分だと思います。石川県教組が作っていた「夏休み帳」、平和教育の教材を入れたものが、教育委員会によって、一挙に採択がゼロにされてしまうことが起こりました。その時の議会の質問で私は、「『不当な支配』ではないか」と話をしましたら、その時の教育長の答弁は「私たちは『不当な支配』に服するものではありません」と。これは組合が「不当な支配」をしてきたんだ、ということを裏で言っている。そういう答弁を実はしました。教基法が変えられる前からそういう認識を持っているということです。これが十条の部分です。
 そして、それと続いて「教育振興基本計画」を立てなさい、これにもとづいて教育をやっていきますよということが新しく新設された十七条のところに出ております。国も県も市や町も振興基本計画を作ることになっています。国民保護計画みたいなものですね。国版があって県版があって市版があって、とそういう感じです。県や市や町が「独創的な教育をやろう」という計画を立てようにも立てられないことになっていて、国が決めたものを「参考」にしていくことになっている。国家統制をやっていこうということだろうと思います。

 
教基法改悪の経緯

 こんなふうに教育基本法が変わったわけでありますけれども、これを変えるために相当の時間がかかったことは間違いないことです。もちろん、憲法ができた時から憲法と教育基本法は変えようということは、自民党のみなさんの「悲願」であります。ずっと何十年もそういう思いを彼らは持ってきたわけであります。けれども、この動きが具体的に起こってきたのは、二〇〇〇年です。二〇〇〇年に「教育改革国民会議」が最終報告を出して、そこから話が進んで中教審に諮問をした。そして中教審が教基法の見直しをすべきだという中間報告を出して、最終報告で教基法の改正は必要だということを出してきました。それを受けて、与党、自民党・公明党が検討会を開きました。検討会は三年間で七〇回の審議をしたというふうにいわれています。しかし、これは全部、非公開です。そして、与党の中間報告というものが出まして、それから最終報告というものが出まして、二〇〇六年の四月二十八日に政府法案が出て閣議決定をされて、第一四六回通常国会。ここで四十九時間審議をしまして継続審議になりました。残念ながらここで廃案にできなかったわけです。そして、九月からの臨時国会の中で強行採決、最終的に十二月十五日に可決・成立をしたということであります。その間、審議は時間を重ねることのみのために行われたのです。タウン・ミーティングで「やらせ」もバンバンやって、「国民の意見を聞いた」とやってきたわけであります。最終的には数の力で強行採決、こういうやり方をしてきた。全くなりふり構わないでこの法律を通してきた。

 
どうなるのか「教育改革」

 どう変わっていくのか、ということなんですけれども、安倍首相の私的諮問機関「教育再生会議」が改革の中味を審議している。先日、第一次報告が出たわけです。全文がここにあります。日本教育新聞という教育委員会と校長が読む新聞なんですけれども、そこに書いてある。これを見ますと、教育基本法を変えてきた本来の目的が書かれています。新聞とかテレビでは「いじめ」とか「体罰」の規定を見直すとか出席停止の措置をとるとかが割とクローズアップされているんですけれども、第一次報告の中には、テストをやって評価してランクキングして学校を選ばして、ダメな学校や先生は切っていって、という全く新自由主義的な教育思想が貫かれています。
 今まで教育は、選挙の争点になりませんでした。「教育しゃべっとったら票にならん」という話がいっぱいありまして。ところが、「教育を語らないと政治家でない」という感じになってきまして、もうみんなが好き勝手なことを言い始めている状況になっています。ですから、マスコミもそれに呼応していろんなことを言い始めている。
 東洋経済が「ニッポンの教師と学校」という特集を組んでいます。この週刊誌は全面的に私たちの味方とは言えませんけれども、今からやろうとしている教育改革がそれなりに書いてあります。「学校に競争原理を導入する」。その競争原理の中味は学校選択制です。そして「バウチャー制度」、これは安倍首相がよく言っていますけれども、選んだ子どもの数によって予算を配分するという制度です。人気の高いところはお金がたくさんもらえます。それから「採用の多様化/評価の厳密化」、これは教員の評価をしっかりやって、「免許制度の更新」とかで、いわゆる「ダメな教員」を排除していくというものです。そして子どもたちには、徹底的に点数をとる勉強をさせる。「規範意識」の向上「いじめを無くす」とか「学力を向上させる」ということが中心課題として示されています。地域を学校運営に参画させていく、学校を地域が評価する外部評価させる、ということも入っています。
 それから、行政、教育委員会について。教育委員会と労働組合はほとんど喧嘩していますけれども、議員の方々は「組合と教育委員会は結託して何でもしとる」とよく言います。そんなことできるわけがないんですけれども、「教員仲間で好き勝手なことやっている」ということらしいです。組合もつぶしたい、教育委員会もつぶしたい、自分たちの思い通りにやりたい。これが政府・自民党の考え方だろうと思います。ですから、教育委員会を変えていく。もちろん、いろいろな権限を市町村に下ろしていく。「国から県、県から市町村へ」とは言います。県が持っている人事異動の権限とか校長任用の権限とかを金沢市など中核市にその権限を与える。来年度・再来年度くらいまでおそらくはなると思います。しかし、国のやり方を下までトップダウンで下ろしてくるということは変わらないと思います。
 安倍首相は、評価に関しては、一校一校に国の監察官を入れて学校を五段階評価すると言っています。だから、「ナントカ小学校は通知簿5、Aランク」とかですね、「どこどこの学校はBランク」という具合に。それで学校を選ばせる。国の言う通りにしていれば評価が良い、それが楽だということになりますから、完全に国がコントロールする状況になっていく。

 
教育関連法改定

 そういうことを実現するために法律を変えていく。どんな法律をどう変えるかはまだはっきりしていませんが、教育関連の法律−三十二とか三十三と言われていますが−これを順次変えていくということです。当面、三つ、学校教育法、教員免許法と地方教育行政法。
 学校教育法に「愛国心」を入れていく。法律とは違いますが、学習指導要領−これは教育内容の大綱を示したものですが−に「国を愛する」とか「伝統文化」とかどんどん入れてくると思います。それから、授業時数一〇%増やす、ということで学習指導要領が変わってくる。道徳の授業も変わってくる。
 それから教員免許法。「免許更新制」と言っています。今は教員免許は終身免許ということになっていますけれど、更新制にする。十年経ったら三十時間の講習を受けて、通れば免許は継続されるというようにする。そんなことでは甘い、そこでチェックして「ダメなやつは切れ」と教育再生会議は言っています。いずれにしても教員免許というのを変えてくる。
 それから、地方教育行政法。これは教育委員会そのものを変える。この三つの法律をとりあえずこの国会で変えろ、と安倍さんは言っているわけです。その後、いろんな法律、学校保健法と産業教育振興法、生涯学習振興法、社会教育法、図書館法、博物館法、人確法−これは教員の人材確保法案。いい人材を確保するために給料をどうするとかという法律−これらに順次手を付けてくる。法律を変えながら、安倍首相が言っている教育改革というものが進められるということです。

 
イギリスモデルの実態

 安倍首相という人をみなさんはどういうふうにお感じになっておられるでしょうか。私は本当に何とも言えない、モヤモヤと感じが悪い。右翼なら右翼らしくすっきり言っているんだったら、「それはおかしい」とか「そういう人もおるだろうな」となるが、あの人はどこに信念があるのかわからないという感じがしますね。誰かに言わされているのか、お祖父ちゃんに影響を受けた感覚だけで言っているのか、総理大臣になりたかっただけなのか。本当に教育のことを真剣に考えているとはとても思えないんですね。『美しい国へ』という本を読んでも、信念がどこにあるのか私にはわからない。
 その安倍さんが言っている教育バウチャー制度、学校選択制とかは、イギリスをモデルにしているといわれているんですね。「サッチャーがやった教育改革が素晴らしい」と思っているようで、それを真似して・モデルにしてやりたいと言っております。教育バウチャー制度、学校選択制はセットになっています。学校評価とか教員評価ともセットになっております。イギリスではどんなことがおこなわれてきたのか。イギリスの教育制度というのは、ものすごく複雑でですね、日本みたいにある程度、単線型で小・中・高・大学というのではありません。いろんな複線がありますので、よくわからない。難しいんです。
 本当に問題だというところを二つ挙げます。一つは、成績至上主義、点数至上主義ということ。もう一つは学校評価ということです。この二つは特に真似しようとしているんですけれども、問題がある。『美しい国へ』という本の中で安倍晋三さんは「全国的な学力調査を実施し、その結果を公表するようにすべきではないか。学力調査の結果が悪い学校には支援措置を講じ、それでも改善が見られない場合には教員の入れ替えなどを強制的におこなえるようにすべきだ」と言っております。日本では来年四月から小学校六年生と中学校三年生の全員に全国学力調査を実施することがもう決まっております。受けるかどうかは一応各自治体の判断ということになっており、「受けません」と表明しているところがいくつかありますけれども、ほとんど九九・九パーセントの自治体が参加することになっています。これはイギリスを真似たものです。イングランドがやっているのは、七歳、十一歳、十四歳、十六歳、子どもたちの全国学力調査をやっています。その結果をランキングして、リーグテーブルという一覧表を作りまして、「この学校は何点、この学校は何点」「この教科は何点」とすべて公開しているわけです。今はもうインターネットの時代ですから検索して全部見られるわけです。そういう数字で表れたものは大変わかりやすいので、保護者とか国民は、「テストの点数の高い学校はいい学校だ」という意識にだんだんなっている。点数の低い学校はダメな学校、こういうふうになってきております。学校選択制も導入しておりますので、「どこを選んでもいいですよ」となるとやっぱり点数のいい学校を選ぶことになっていきます。そして、子どもをたくさん集めた学校にはバウチャー制度でお金がたくさん配分されます。いい学校はどんどん良くなっていくし、ダメな学校は予算も少ないから大変になる。安倍首相はそういう学校は支援すると言っていますが、何をするかも言ってません。予算をつぎ込むのか? バウチャー制度をやっているのだから予算をつぎ込むということは考えられない。イギリスでは、「ダメ」な学校はどんどん「ダメ」になっていく。「ダメ」という表現で正しいかはわかりませんけれども、そういう状況になっています。
 イギリスの全英校長会(NAHT)が二〇〇六年の五月の総会で「イングランドでのテストの公表結果の廃止」を全会一致で決議した。だから、イギリスでは「もう、こんなテストやって一斉公開は駄目や」ということで校長さんが全員反対した、こういう状況になっています。
 実は、テストを一番やっているのは日本と韓国ですね。日本は一九六〇年くらいからとにかく学校ではテスト、テストして評価する。そういうことを日本ではずーっとやってきたわけです。一番、「テスト漬けの国」というふうに言われてたわけです。その中で教育にいろんな歪みが出てきて、問題が出てきたと。だから、「ゆとり教育」とかが出てきた。それなのに、テストでガーンとやるイギリスの、それも破綻しているものを、日本が真似をする。本当に訳のわからんことなんです。イギリスの予算の配分でいうと公立、私立関係ないんですね。どこもバウチャーでやるわけです。バウチャーを集めた学校には、私立の学校でもそれに見合って公費を投入する。もともと私立に通う子どもの家庭は、経済的には裕福な層です。そういう私立にさらに公費が投入されて、ますます手厚い教育ができるようになり、それがまた人気を呼ぶ。こういうことで富の集中ではないですけれども、予算の格差がまたできてしまう、と言われています。それで、サッチャーの教育改革をブレアが引き継いでいますけれども、教育が大変だということでブレアの最初の演説で「一に教育、二に教育、三も四も教育だ」という演説をしたくらいの話なんです。そして、教育予算をそれまでの三倍に増やして立て直しの段階にいま入っている。
 学校評価では、安倍晋三さんは何と言っておるかというと「ぜひ実施したいと思っているが、サッチャー改革で導入した学校評価制度の導入のように学力ばかりでなく、学校の管理・運営、生徒指導の状況なども国の監査官が評価する仕組みを作り、問題校には文科省が教職員の入れ替えや民営の移管を命じることができるようにする」。国が常に見張っている学校にしようとしています。サッチャー改革では、徹底した評価をおこなってきております。そして、評価が低くなった学校は、「失敗校」と認定されまして、名指しで責められる・貶される。そういう学校の地域が荒れていくということになっていきます。これは学校選択制と絡んできますけれども、人気の高い学校は人がどんどん集まりますから、その学校がある近辺の土地の値段が上がる。そこに行きたくても行けない人が出てくるという状況があると聞いています。学校が無くなってしまうと、その地域の活力が無くなっていく。これはもう東京で起こっています。

 
対極をいく北欧

 安倍さんがやろうとしているのは、こういうことで、もう先が見えている話だと思います。これと対極を行くのがフィンランドとかデンマークの教育です。フィンランドという国は、OECDのPISAという学力調査で世界一になっている国ですけれども、二〇〇三年でトップになった時に、フィンランド教育省がコメントを出しています。フィンランドでは、「どんな処に住んでいても、また性別や経済的な事情・母国語の違いなどには関係なく、教育への機会が均等(平等)である」「生徒は近くの学校に通う」「すべての教育は無償である」。大学まで無償です。「総合制で選別をしない教育である」と。
 いま日本では「習熟別学級」「少人数授業」という能力別の学級を進めています。現場の先生は、「できるクラス」「できないクラス」固定化しないように努力されていますけれども、「能力別に学級編成しなさい」ということになっています。「発展コース・基礎コース」とか小学校なら「じっくりコース」といろんな名前を付けて能力別学級を作っている。フィンランドやデンマークでもこういうことをやっていたんですね。それを「これは駄目や」ということでやめたんです。やめて、学力の違いのある子を一緒にして、教員の力をつけて、学級規模は大きくしたら難しいから、二十人くらいにして選別しない教育をやっている。
 それから「地方分権」。子どもたちが互いに協同する活動、仲間意識を育てる活動をやっている。個人の支援をしっかりするとかテストはしない、ということなんですね。デンマークに行ってきましたけれど、テストは義務教育終了段階で一回やるだけです。ほかはテストなしです。日本で生まれた方がデンマークへ行って、デンマーク人と結婚してお子さんができて、全然テストが無いので「うちの子どもはどうなってるのか」って不安で不安で仕方がなかったそうです。ところが、中学校くらいになって、授業を見に行ったらですね、娘さんが英語で自分の意見を述べている。こういう姿を見て、この教育はすごいんだということがやっとその時わかったと話されていました。その娘さんは弁護士になっているそうです。競争するのは、人と競争するんではない、昨日の自分と競争するんだ、とこういう感覚だと言っていました。自分の実力をどう高めていくか。誰かと競争して勝とうとか、そういう教育はしないということです。もちろん、点数主義やランキングもしないということです。
 フィンランドの教育を見て、イギリスの新聞記者が「フィンランドという国は悪い者をさらし者にしたりする教育ではなくて、創造性を重んじる教育をやっている」と新聞に書いた、とどこかで読みました。イギリスの記者がそういうふうに書くわけですね。イギリスとは全然違うということであります。もちろん、フィンランドやデンマークでは教員の実力を高めるためにいろんなことをしっかりと手厚くやっている。プロ意識を持ってやっています。日本の先生方は授業の研究をしようと思っても、時間が無いという状況になっています。一番やりたい授業の研究、こんなことを教えたい、こんなふうに教えたい、それを研究したいんだけど、やれない。まさに教員の力を「資質向上」と言いながら、どんどん下げていくような政策になっていると思います。
 そして、最後に「皆で社会を築いていこうという学習概念」になっているということです。これもデンマークの話ですけれど、国をどうやって良くしていこうか、自分たちが主権者なんだ、という教育をやっているそうです。政治に対してどう考える、どう批判するのかということも教育の中でやって、高校生が教員と一緒になって、この政策おかしいということでデモするとかストライキすることはよくある、というふうに言っておられました。日本ではそういうことはやってはいけないような感じになっていますが。そして、競争しなくても世界一になっている、とそういう話です。
 フィンランドやデンマークの教育を、安倍さんが勉強したかどうかは知りませんが、文科省はよく知っています。そっちの方が絶対いいと思っているだろうと私は好意的に思っていますけれど、なぜできないかというと「お金がかかるから」ですね。教育には投資が必要なわけで、それをしたくないのでそんな話は一切出さないわけですね。
 じゃあ、お金はどうなっているのかと言いますと、「図表で見る教育OECDインディケータ」を見ると、国内総生産に対する教育機関への支出の割合、初等中等−つまり、小・中・高校です−日本の公財政支出がGDP比で二・七パーセントです。平均は三・六パーセントです。スウェーデン、デンマーク、フィンランドは私費負担がほとんどありません。ほとんど公費で、しかも高い水準の四パーセント台の支出をしているわけです。それに比較して、日本が真似しようとしているイギリス、アメリカ合衆国、ここでも日本と比べると公費を相当使っているんですね。日本は大変低いです。そして、大学にいたっては、なんと公財政支出は〇・四パーセントです。私費負担というのは、ものすごく多いということです。大学にやる時には、おそろしく私費がかかる。デンマーク、フィンランド、スウェーデンはほとんど公費ということになっています。韓国を見ていただければ、日本よりもっと経費がかかることになっています。これも一因で、韓国のいわゆる「少子化」は、恐ろしい勢いで日本以上に進んでいます。「一人あたま何人産め」という話では無いのでありまして、安心して子どもの教育が受けられる国が最も大事だろうと思います。
 それから、お金がかかるというのはなぜかといいますと、学級規模を小さくするということですから、それだけ先生の数がたくさんいるということになります。日本は韓国と並んで、平均小学校で二八・六人、中学校で三四・〇人です(定数的には四〇人学級ということになっている)。OECD平均でいうと二〇人から二三・九人、中学校でもそれくらいということです。もちろん、これより少ない、平均で二〇人くらいの国もたくさんあります。
 これもデンマークに行った時の話ですけれども、「日本の先生方は四十人相手に授業をしているんです」と言うと「すごいですね」と褒めてくれるかと思ったら、「プロだったら、『そんなことできない』と言わなきゃ駄目でしょ」と怒られました。「そんなものはできるわけはない」と。「プロなら『ノー』と言え」ということでありました。全くその通りだと思いました。でも、「昔は五十人だった」とか「いや、六十人おってもいい授業する素晴らしい先生はおる」とか、そんな理屈で「少人数学級にする必要はない」という人もいまだにいるわけです。「一クラスの人数が少ないとみんなダラーっとしてかって、のんびりして」という言い方をするんですけれども、そんなことはない。ものすごくいきいきといろんなことをやっていますし、一クラスごとの授業もありますし、合体してやるのもありますし、いろんな工夫をしてやっていますので、全然、そんな問題は無いと私は思います。

 
石川県の学校=教育現場では

 石川県や金沢市はどういう状況になっているかということを最後に少しお話ししたいと思います。石川県では、人事考課制度というのが今年から入っております。これは、教職員を評価する制度です。二通りの仕方で評価しています。一つは、目標管理といいまして、年度初めに管理職が教職員に目標を立てさせます。例えば「私は今年理科の授業をこんなことに力を入れてやりたいと思います」と目標を出すわけですね。それを数値目標で出せという話になっているようです。ですから、実につまらない話ですけれど、理科が好きな子を八〇パーセントにする、そういうダラな目標を立てさせているんです。それはくそ真面目な校長さんほど強要するという話なんですけど。そんな目標をとにかく立てさせて管理職が年度途中に面接やって、今ごろの時期ですかね、最後の面接をして「はい、自己評価しなさい」と。それで、「今年はBくらいかな」というと、最終的に目標管理の評価がこの人はAとかBとかということに一応なるわけです。
 もう一つは、業績評価といって校長と教頭が二人で授業をコソコソと見に行ったり堂々と見に行ったりしながら評価する。五段階です。S・A・B・C・D、東京と一緒です。Sは「スペシャル」か「素晴らしいか」、知りませんけれども、そういうのでやっています。県の職員もそういうことがやられています。議会では、「その評価の段階の割合はどうなんや」という質問が自民党の方から出ます。「評価C、Dが少なすぎる」「C、Dになった者は、給料下がるが当たり前やろ」。こういう議論になっていくんですね。教育委員会は「その通りでございます、はい」とは言っていませんけれども、やはりプレッシャーは相当かけられています。石川県も教育委員会も「処遇に反映する」という方針を出していますが、まだそうなっていません。これをやると「こんな校長に評価されてたまるか」という人もいるわけですから、苦情処理をできるのか、評価の仕方が適正かどうか判断できるのか、とかいろんなことをきちんと整えないと大問題であります。組合もそんなことを求めています。でも、東京はなっています。S、Aの人たちは昇給、大体一年で昇給しますけれど、これを半年で昇給するとか、一年で何段階上がるとかですね、それから評価の低い人たちは、昇給停止で上がらないとかダウンするとか、そういうことを東京は始めています。
 東京では、先生の希望者がどんどん減っております。いま石川県では、教員採用試験の倍率は、十倍近くあると思いますけれども、東京では小学校だと二・何倍という状況になっているようです。管理職にもなりたくない、やってられませんという人も、たいへん増えている。
 もう一つ、金沢では中学校選択制が今年から入っておりまして、来年の中学校をどこを希望しますかということを、小学生にもう聞いております。金沢市の場合は、学校一校中、四十人の枠が決まっておりまして、それを超えると抽選をするということになっています。某地元紙が月刊誌の中で「失敗しない中学校選び」という記事を載せました。学校を選ぶ時はちゃんと研究してから選びなさいよというわけです。どうやったらわかるかというと、石川県ではまだ学力テストをインターネットで公開なんて、東京みたいなこともやっていませんから、例えば、「近くのコンビニに行って、この学校の生徒がどんな状況か聞け」とか「下駄箱行って靴見たら大体わかる」とか、その記事には訳のわからんことが書いてありました。
 親御さんは、どこの学校に行ったらいいんだろうと、やっぱりもちろん真面目に考えますよね。地元の学校に行けばいいんですけれども、この学校ひょっとしたら良くないんじゃないかとかとやたらその不安をかき立てる教育行政になっているわけです。ものすごく不安に感じて、いろいろ研究して、別の学区を希望される親御さんはやっぱり増えてきているというふうに聞いています。
 一番問題だと僕が思うのは、選ぶ時は自由に選べるんですから良いとしても、選んでそこに入ったら、今度は「選ばれる」ことになります。要するに生徒が商品みたいになるわけです。勉強できるか、行儀いいか悪いか、そういうことで今度は評価される対象になるわけです。学校もいろんな子にしっかりした教育をしたいと先生方は思っていますけれども、やっぱり「選ばれない学校」にはなりたくないですから、そういう要素を持った子どもはできれば来てほしくない、こんなことにやっぱりなっていきます。これが実はもうイギリスでは起こっている。選別と排除の教育が進んでいきます。東京では子どもを集めることができず、廃校に追いやれた小学校もあります。そして人気のあるところはどんどん希望者が増えて、完全に格差が固定化している傾向が出てきております。
 教員はそんな中で、ものすごく忙しくなっている。ランキングされることになりますと「うちはちゃんとやっていますよ」ということを説明しなくちゃいけないということになる。一時間一時間何をするかということを書いた一年間のカリキュラムを作らされている。「クレイマークレイマー」とかいっていますけれども、とにかく学校にクレームを付ける親が増えてきている。そんな親に対応するためということです。カリキュラムとは別に、これこれの部分の勉強をどう評価するかという評価の冊子もあるわけです。評価補助簿というものです。これを使って「クレイマークレイマー」の親には、「こういう基準になっておりまして、こんなふうにやっておりますから、お子さんの評価はこうだったんですよ」とやんなさい、という話なんです。こういうのを作るのは、膨大な時間がかかるわけです。
 しかも、いまスピード感がある教育改革でないといけないと言ってきまして、「あれを入れろ、これを入れろ」「あそこを変えろ、ここを変えろ」、金沢なんかでは、「金沢スタンダード」といって、学習指導要領のほかにですね、金沢ではこれを標準とするものを必ずこの中に入れなさい、と言う。突然、そんなものを「入れなさい、書き込みなさい」と言ってね。イギリスでも国で決められた内容の大綱があり、それにもとづいて学校は教科書を自分たちで選べます。けれども、日本は完全にがんじがらめになっている。ある意味では、イギリスでは地方分権がかなり進んでいて、学校の主体性は、相当尊重されている。そういう中で教育改革がやられているんですけれど、日本は形はイギリス、中味は完全に統制されるという、最悪の状況になっている。その中で先生方は、もう「ホワイトカラー・エグゼンプンション」状態になっているわけです。
 一カ月に八〇時間を超える残業をやったら過労死の領域に入ってきますが、先日、石川県教組がやった調査によると平均が七九時間。だから超えとる人はいっぱいいます。もちろん、学校に遅くまで残って雑談をしながら仕事をしとることもあるかもしれないけれど、とにかくそれだけの時間、学校にいるとか持ち帰らないとこなせない仕事の中味になってきとるということです。そして、精神疾患がたいへん増えてきています。これはかつて私が議会で質問した時に、病気とか精神疾患が増えてますけれど、全国と比べると少ないという答弁でした。しかし、どんどん全国平均に近づいておりまして、ここにあるように人数的にいうと昨年度の病欠休職の人は五十三人です。そのうちの二十八人、五二・八%が精神性疾患だということです。これはあくまでも表に出されたものでありまして、現実にはかなり厳しい状況になっている先生方がたくさんいるということです。こういう方々を「指導力不足教員」や「免許やる資格の無い教師」のターゲットにしていこうとしている。それは、考えすぎということにならないと思います。
 以上、まとまらないお話しでしたが、終わらせていただきます。

(小見出しは事務局でつけました)

感想・質疑応答

司会 盛本さん、ありがとうございました。学校現場がどうなっているのか、ということも含めて、くわしくお話ししていただきました。
 では、質問や意見がありましたら、お願いします。

 学生(女性) 金大の学生です。残業が月に七十九時間と言われていたと思うんですけれども、すごくビックリしました。いま教員の方は残業しないとやっていけない、仕事がそれほど忙しい、どういう状況なのか聞かせていただきたいと思います。

 盛本さん 具体的にいうと、「出勤前持ち帰り」とか「早出残業」というのがありますね、勤務時間前に学校に行って、例えば登校の交通安全指導をするとか、玄関にいて「遅刻するぞ」「その服装はどんなんだ」、いまやっているか知りませんけれど、そんなようなことに何十分かかっている。そして、授業が始まります。完全に空き時間なんてものは無い。授業をぴしーっとやっていきまして、昼。これは条例では八時間の勤務時間があって、あいだに四十五分の休憩時間があるということになっています。しかし、そのあいだの時間は給食の時間ということですから、子どもと一緒に食べるんです。「私は給食いりません、外に食べに行きますから」と言っても本当は法的には何の問題も無いんですけれども、とてもそんな状況にはなっていない。一緒に給食を食べる。そして食べ終わっても、昼休みになれば子どもたちがやってきます。それから一緒に遊んであげたい、そういう先生もいるだろうし。質問にきたりいろんなこと喋ったり相談にきたりなんかしとって、結局九分しか休憩時間とれない、これが平均です。
 そして終わりますね。終わったら会議とかいろいろあります。職員会議とか学年会議とか生徒指導の会議とか図書館の会議とか保健の会議とかいろいろある。そしてそれが終わると部活動。中学校だとか高校だったらある。もちろん、部活動なんかやっとる暇もなく別の事務作業をしなければならないこともあります。いろんな報告書がやってきます。最近はコンピュータがありますから、何でも学校でやれると思って、今日通知が出て「一週間以内に出せ」というのがいっぱいきているわけですね。で、調査がいっぱいきます。そんなものをこなしていかなくちゃならない。授業の準備は、そんな時にしたり、私でしたら理科の教員してましたので、実験明日せんなんと何クラスかあると。学年も違うと別の実験せんなん。それぞれ準備してやらんと。
 それからうちに帰って、と。そんな時、いろいろまた子どもたちが問題起こしたりしますからね。「不登校」の子おったら「あっ、ちょっと寄って行かんなんな」と。プリント届けてやるとかそんなことをしながら。で、うちへ帰って残っている仕事をちょっとするとか。そんなことをしていますと持ち帰りを別にしても七十九時間になるという話です。寝たら楽になるかというと、お休みになる時「ハァーッ」とならないんですね。「昨日あいつあんなことしとったけれど、ちゃんとうちに帰っとるんかな」とかそんなことをずっと気にしなくちゃいけないことになりますわね。「今日いじめられたのおったけど、どうなっとるかな」。寝られないということもあると思います。僕は中学校でしたからそんな感じ。小学校なら小学校で、また高校なら高校でちょっと違うかもしれないけれど、同じような感じじゃないでしょうかね。

 学生(女性) いま教育現場で平和教育が閉め出されていると聞いたんですけれども、去年の秋に反核運動をやっている元教員の森滝春子さんが金沢大学に講演に来てくださいました。森滝さんから、広島ですら平和教育ができなくなってきていると教えられました。金沢大学に入学してくる学生も、広島、長崎に原爆を落とされたことや日本が中国に侵略したことも知らない人がいます。学校で平和教育がおこなわれなくなってきていることや文科省から強制がかかってきていることの実態についてお聞きしたいなあと思います。

 盛本さん 「平和教育」というふうに銘打って、例えば金沢市の小中学校であれば八月六日とか九日に原爆が落とされた日だということで平和について考えようという集会をしたりビデオを見たり話し合いをしたりということをやっているところはまだいくつもあると思います。あとは、授業の中で担任が学級会活動や道徳の時間などで世界の平和を考えようというような授業はある程度は可能だろうというふうに思います。それから、教科の中でもやれると思います。私は理科の教員してましたけれども、例えば原発はどうかとかね、そういうようなことも教材で順次勉強していく中で、原子力爆弾や水素爆弾とはどんなものか、というようなことはできますわね。社会科の先生はもちろん歴史の中で、侵略の歴史、加害の歴史、そんなこともやることはできます。けれども、そこはかなり教科書を超えてやるとかいうことになると自己規制みたいなものがある可能性があると思います。そういうことに過敏な管理職というのがいたりします。
 私の友人のMさん、彼はかなり平和教育をきっちりやっておりました。小学校高学年になるとかなり歴史に関わってくるので、彼は六年生をほとんど持たせてもらえなかった。彼は持ったことはあるんですけれども、そういう校長さんは少ない。そんな情報をどこから仕入れるかわかりませんけれども、見張られている感覚があるということは近年強くなっている。でも、まだまだやれると私は思っているし、石川県は結構やっている。

 市民(女性) 盛本さん、忙しい中、どうもありがとうこざいました。夏休み帳の問題以来、石川県下でも平和教育にたいする「自己規制」も含めて、無言のプレッシャーみたいなものがかかってきていて、「平和教育」の言葉がなかなか使えないから、人権教育の中でそれをもぐり込ませるとか環境教育の中で原発のこととか、そうやって先生方が工夫してやっている。高校の場合だと、未履修問題が話題になりましたけれども、それ以前にも試験問題を県教委が学校訪問などの視察の時に調べに来る。だから、試験問題がシラバス通りに作ってあるか、チェックされますね。学習指導要領通りかチェックするために、これから文科省の監査官が強化されてくるなと思います。
 私が一番印象に残ったのは、「プロならノーと言え」という言葉です。「ノー」というのは、なかなか現職の人は厳しくて大変ですけれどもそういう腹構えを持ってやっていかないと本当に教育が駄目になると思うんです。
 プロならノーと一番大きな声で教育基本法改悪に反対した教組、北海道教組が日教組全体としてやらなくなった中でも、北海道教組が呼びかけて、石川県教組、高教組、大分県教組が頑張ったと聞いています。頑張るところをつぶそうということで、北海道教組は暮れに道教委がおこなった「いじめの実態調査に協力しないように」と組合として組合に呼びかけたんですね。こういうのは数字が独り歩きして、宣伝に伝われるからまずい。本当に「いじめ」に対応しようとするならば、教員一人ひとりが子どもに向き合う時間を作ることが大事なんで、そういう統計調査なんていうのは非常にまやかしがあることを警鐘を乱打し呼びかけたんですね。そのことに対して、その時に問題にするんじゃなくて、なんと教育再生会議の第一次報告が出された一月二十四日に読売新聞などに暴露したんですね。この暴露の最先頭に立っているのが、「ダメ教師は辞めてもらう」「国会周辺で大声を出して騒いでいるああいうのは即刻クビだ」というのが、アル中の中川昭一という議員なんですけれども−あの人は北海道出身だそうですが−そういうことで暴露して教基法改悪反対に頑張った北海道教組をつぶせばいいと。
 このあいだ県教組の柚木さんにお会いしたら、(北海道教組と)同じで石川県教組に対しても、ものすごいバッシングありますよと言っておいでました。そういう形で日教組の中央があまり闘わないからまあこんでいいやろと、あとは北海道と石川と大分と最後まで頑張るところ、あるいはほかの県でも頑張っておいでる人、それを攻撃すれば何とかなるだろうと、だからちょっと平和教育をやっているからといって、「つくる会」系の保護者と名乗って暴露するとか神奈川県でかつてあったんですけれどね、そういう形でやられている。これに対して、今日、盛本さんから聞いた「プロならノー」と言えるような組合や頑張っている人を支えていきたいと思います。
 話は違いますが、盛本さんが高校の司書の問題で、議会でしつこく追及してくださってありがとうございました。頑張ってください。北海道教組にたいする「負けないでがんばれ」という声も出していきたいと思います。


 
司会 事務局で用意した資料の中に、読売新聞のこの「いじめ調査」についての記事があります。実は、僕は良くわからないところがあるんです。「いじめ調査」なんてやったって子どもだったらちょっと喧嘩しても、「○○ちゃんがいじめた」と書きそうな気がして、そんな調査をやったら相当な数になっちゃうなと思って。
 そのへんはどういうに見ておられるんでしょうか?


 盛本さん 「いじめによる自殺」が発端なんですけれども、自分の命を絶つ原因は何なのか。本人もわからないかもしれない。「いじめ」が原因とまでは言えないけれども、一つの要因であったかもしれない。
 教育振興基本計画を作るべきだという話が出た時に、一つの例として、「いじめを半分にする」とか「不登校をどれだけにする」とか数値目標を出したんです。そしたら教育委員会は数字にこだわり始めて、確実なもの以外は「はっきりしない」というカテゴリーに入れてしまったので、「いじめ」はゼロになった。それはおかしいという話になって、実態はやはり調べなあかんということで、石川県なんかも県の独自の調査を小・中・高校、全部でやったんです。アンケートは、無記名で、家で書く。家で書いたものを封筒に入れで学校に持ってくる。そして、それを学校で開ける。
 議会で質問がありました。教育委員会は「(「いじめ」の)数にはこだわりません」と答えました。だから、「数が多かったから、この学校はどうとか言うつもりはありません」と。ただ、学校として適切に判断してやって欲しいと答えていました。
でもね、日常的に子どもらと話をすることが大事なことなんです。僕が学校にいた時は年に三回ぐらい、徹底的に話を聞こうと思って、好きなだけしゃべらして、部活もせんと一週間何人かと話することをやっていった。そうするといろんなことをしゃべってくれるし、しゃべったことで安定していく子もいました。
 いわゆる道徳教育、規範意識を叩き込む、というのではなくて、本当に人権教育をしないと差別が起こったり、「いじめ」が無くならないと思います。だから、男女差別の問題、外国人差別の問題、そういうことを地道にやっていくことが一番大事なんじゃないかなあ。再生会議は「毅然として認めない態度を……」というのばっかりで、いじめている奴がいたら「お前! いじめてるやろ!」と言って厳しくやれば良くなるというような報告をしてるんだけど、そんなもんじゃない。
 でも、担任とすれば、本当に大変なんですよね。三十人学級にすると相当良くなると思いますよ。いろんなマニュアル作るよりも、人を増やすだけで相当解決すると思います。

 市民(女性) 私、いま八十一歳です。いじめの話なんか全然ピンと来なくて、遊ぶのに忙しくて、みんないじめてなんていられなかった(笑)。学級も四十人でどこが今と違うんでしょうか? 私は静岡市内で育って、学校も市内だったんですけれど、自然環境が、私たちの住む街の真ん中にあって、川に行って遊んだり、忙しかった。環境が違うのかなあ、とかも思って……。

 盛本さん 答えは無いですが、「不登校」とか「いじめ」だとか、いろんな子どもたちの「荒れ」だとかをどうするか、いろんなやり方がありますよ。その中でも、効果がありそうなのは、自然と触れさせる、というのがありますね。
 それから、昔から「いじめは」あったよという話もありますけれど、どこかで助けてくれるものがいっぱいあったんじゃないかな。兄弟が多かったとか、ばあちゃんがおったとかね。近所にもいっぱい人がいたしね。

 市民(男性) 私も現場におる一人として、盛本さんのお話を聞いて、思い起こすことがいっぱいあっていい勉強になりました。そのなかで、北海道教組の話が出ましたね。「いじめ」の調査に協力しない、と。
 そのことで国会で中川昭一という議員が質問して、これに対して安倍総理大臣が答弁しているんですね。安倍総理大臣は「各教育委員会において法律にのっとって、教職員組合の不当なことにたいして、毅然と排除すべきだと考えます」と答弁しているんですね。教育委員会がやってくれといった計画、それに反対するのは不当な介入だ、と。国がやったことに対する介入だ、だから毅然と対処するんだよ、と。これは教育基本法の改悪の実施だと思うんですよ。
 盛本さんの話から察して、とんでもない時代になったな、教職員組合の運動のありようが本当に大事だな、と私は思いました。

 市民(女性) 私は「いじめ」がなぜ起こるかについての突っ込みが−政府なんて絶対突っ込むつもりが無いですよ−大事だと思います。先ほど盛本さんのお話をお聞きして、やはり大人が「いじめ」を堂々とやっている、そこのところを日本の社会全体の大きな問題として取り組まないと教育という枠の中でどうやったらいいか、というのは限界があると思います。
 経済的に非常に逼迫している家庭の子どもが非常に多いですよね。それは、リストラで自殺する親が、三万人のうちの何割か占めている。そういうことも一つ要素としてありますよね。それから、政治家も経営者も自分の良いようにやっているし、嘘もついている。子どもはキチッと見ていると思うんです。
 しかも、あんまり外に出ないでコミュニケーションしない子どもは、鬱積してはけ口を求めていく、そういうところにもっと目を向けるべきでは。昔も「いじめ」はありましたが、今ほど陰惨な形ではなかった。今は実に単純な、本人はそうではないかもしれないが、外から見ると全然わからない原因で、しかし「いじめ」だといわれて自殺してしまう。そういう点の分析が必要だろうなあと。いかがでしょう。

 盛本さん こうだ、ということは私も全く言えません。でも、もちろん社会の有りようというものが関係している。じゃデンマーク、フィンランドはどうなんだ、虐待とかそういうものは無いのかと、「そういうことが起きそうだということがある」と言っていましたね。それは早い段階で発見して対処するから大きな問題になることは無いと言ってましたね。だから人間ですからそういうことは起こる可能性というはあると思いますが。

 市民(男性) 盛本さん、ご苦労さんでした。私の娘は中学校の国語を教えています。帰る時間が毎日七時過ぎですね。土曜日曜も毎日とにかく学校です。男性の教師と違って、女性の教師が家のことをあまり見れないということで、孫が金大に失敗して富山に合格したんですけど、母親は「先生だけはなるな」と言う。いかにひどいかということです。よっぽど手が遅くて残業ばかりやっているんじゃないかという気がせんではないけど、しかし、子どもを見ないといけない、部活を見ないといけないということが絡んでいることは間違いありません。私の妻は「いい加減にやめなさいよ、定年までおること無いよ」という。これが家の実態なんですよ。
 ところで私はフィンランドに行っているんですよ。私は教師でも無いからそんなに教育に関心を持ったわけでは無いけれども、十年以上も前の話ですけど、あそこでは小学校では宿題が無い。夏休み帳は無い。「絶対に日本の子どもに負けません」と言ってました。本当かなと思ったんです。
 国家とは何ぞや? 「国を愛し」「美しい国」。何を言うとるんや、私にはわからないんです。マルクス主義に言わすと国家とは搾取機関だと、共産主義の社会になっても搾取すると、これが定義になっているんです。「美しい国」とは何だ。中国にはピンインというのがありまして、美しい国の夢と書いてどう読むか、アメリカンドリームです。美しい国の日本というとアメリカの日本。安倍は何を考えているんだ、アジアの国を知らないんだと思います。よく考えてみると正確に言っているんですけど(笑い)。
 フィンランドは税金が収入の半分、ところがこれに対して不服を言う者が一人もいない。何故か、老後のために退職金を一生懸命に貯めることがいらない。もし「愛国心」というのならフィンランドの人が愛国心があるのではないか。国家について盛本さんに一つ聞きたいんです。

 盛本さん それはみなさんに私が聞きたい(笑い)。まあ、フィンランドでは政治をしっかり監視しないといけないという意識がしっかりあると聞きましたね。フィンランドでは教員しながら政治をしている人がいっぱいいますからね。日本は法律で駄目ですけど。仕事は五時頃に終わり、それから議会の仕事をやっている。選挙前になったら各所で討論会をやっている。そこで立候補者ががんがん「こういう町にしたい」とか演説して、それを聞いてみんな投票する。そうやって自分たちの町というか国を「連帯」という固まりとして捉えている。そして、自分たちでいい国を作っていくんだという、本当に愛国心だと思いますけど、そういっておられました。

 市民(男性) 先ほど昭和の年号と同じお歳の方が発言されましたが、私の母親もそうなんです。大正十四年生まれで、昭和二十年のときに二十歳だったんですね。「昔はいじめなんてなかった」て言うんですよ。でもね、私は「国内では少なかったかもしれないけど、中国行ってたくさん人殺して悪いことしてきたんじゃないか」「国家全体がいじめをやっていたんじゃないか」というんです。そうしたら沈黙するんですけど(笑い)。
 朝日新聞の川柳でおもしろいのがありました。「あの頃もお仕着せだった愛国心」というんですよ。いま教育基本法改悪で目論まれているのも、愛国心なんですけど、それは、政治家が子どもたちにお仕着せで強いようとしている愛国心で、自ずから出てくる愛国心ではないです。そのへんに問題の根があるんじゃないかと私は思っているんです。川柳では笑い話で終わるんですけど、これから笑えない時代になるのではと危惧しています。

 司会 どうもありがとうございました。残念ながら時間がきました。今日は、活発な討論ありがとうございました。これで終わりたいと思います。(拍手)

「集い」 参加者から寄せられた感想です

◆石川県の教育現場の実態を聞いて、とても驚きました。月79時間の残業とは、今教育労働者の方々は、本当に大変な状態にあるのだ!と改めて思いました。
 また、イジメにかんする調査を北教組が拒否したことに対して、安倍首相が「各教委で法にのっとって排除すべきものと考える」と発言していることに、危機感を覚えました。教基法改悪反対の声をあげてきた労組を、今安倍政権はつぶそうとしているのだと思います。これを絶対に許してはいけない!と思いました。  (学生、20歳、女性)

◆イギリス、フィンランドの例など具体的に話されて判りやすかった。教育基本法改悪のネライは、国の思いどおりの国民をつくりあげるところにあり、正に戦前の教育である。恐怖をおぼえる。国を守ることとは、国民ではなく、海外に進出した、資本家を、武力でまもるであって、これも戦前のとおりだ。憲法改悪に反対だ。
(会社員、75歳、男性)

◆教育が変われば国が変わっていくことが具体的に述べられていた。国の統制が教育を通してすすめられていく道程が見えてきた。許してはいけない時代に入ったという気がしてならない。         (教員、59歳、男性)

◆〃平和でありたい 私は戦争は嫌だ〃とはっきりと人前で言うことが出来にくいなんて、こんな社会は絶対おかしいと思います。いじめは駄目、仲良くしようといいつつ、本当に変な今の日本です。
 教育の現場は大変なこと良く分かりました。これからは素晴らしい先生は育たないですね。3/18に加賀において生協の平和実行委員やグループでピースカーニバルを企画しています。多くの人達とこどもたちもカーニバルを通して私たちの平和への思いを共有したいと思っています。こんな一つ一つのことが、みんなと行動することが、大切と思っています。もう家の中で折鶴折っているだけでは間に合いません。行動あるのみ!    (63歳、女性)

◆安倍政権の教育改革の問題点や、本当の目的などが分かりやすく整理されていて勉強になった。教基法が改定され、とても悔しかったけれど、これからが正念場! 改定教基法にもとづいて、安倍政権が愛国心教育を、教員におこなわせたり、それに反対する組合をつぶそうとしていることは、絶対に、許してはならないと思いました。教育現場でどういうことがおきているのかや、安倍首相のめざすサッチャー式教育改革のおそろしさをしり、びっくりした。   (学生、22歳、女性)

◆教育現場が大変なことになっている、ということを、よく聞いていました。その具体的状況が、盛本さんのお話をお聞きして、よくわかりました。
 教育内容や制度が、どんどんファシズム的に変えられようとしていることと、教員が労働強化、ストレスなどで、不健康な生活を余儀なくされていること。この2つのことについて、認識を深めることができました。教育現場を離れてから10余年経ちましたが、政府の教育政策には怒りを感じています。         (無職、71歳、女性)

◆good!
とても参考になった。資料がとてもよかった。これをベースにして未組も含めた職場会(拡大)をやろうと思いました。ほんとうにありがとうございました。
(教員、50台、男性)




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